1977-05-19 第80回国会 参議院 社会労働委員会 第10号
それから今度、塩屋湾内の大宜味村の字渡野嘉屋というところ、村の婦女子三十人、四、五発の手榴弾で殺され、そのほかに男の村民四、五名が殺されている。その他八件、十五名というような、こういうスパイ容疑で殺されたのがこれだけあるわけです。 時間がないから続いてお伺いしますけれども、今度スパイ容疑ではなくて、軍の命令で集団自決させられたと。もう御承知だと思います。
それから今度、塩屋湾内の大宜味村の字渡野嘉屋というところ、村の婦女子三十人、四、五発の手榴弾で殺され、そのほかに男の村民四、五名が殺されている。その他八件、十五名というような、こういうスパイ容疑で殺されたのがこれだけあるわけです。 時間がないから続いてお伺いしますけれども、今度スパイ容疑ではなくて、軍の命令で集団自決させられたと。もう御承知だと思います。
○星野力君 この基地内の砲弾検査所での作業というのは、いま若干御説明がありましたが、強力な放射能で透視して砲弾の亀裂、それから手榴弾の火薬の詰まり方、そんなものをフィルムに納める、こういう作業のように聞いておりますが、それについて、それをめぐって法律違反の事実もあると四点挙げられた。そして勧告を出された。こういうことを申されましたが、勧告はどこに向けてなされたのでしょうか。
手榴弾を一つ持って逃げた。おれはいよいよ最期のときにはこの手榴弾で死ねばいいのだからというので、手榴弾を一つ持って逃げた。そうしたら、軍の手榴弾を盗んだから、お前は窃盗だ。逃亡と窃盗だといって処罰を受けて、いまなおいわゆる恩給の恩典にも浴さない。
旧第十八方面軍臨時軍法会議」は昭和二十一年の二月に開かれて、戦争が済んだ一年あとに開かれて、「同月二十三日逃亡「横領の罪で」手榴弾を持っていったので、武装していったから軍隊の武器を盗んだということで、「懲役一年の判決をうけ、バンコックで一カ月、日本に送還されて横浜刑務所で三か月刑に服したのである。大赦令によって逃亡罪は赦免されたが、」いわゆる手榴弾を盗んだという「横領の前科は消えないのである。」
また「この資料には海兵隊員がベトナムでつかうための七億個の手榴弾を保管していることや各種の訓練学校をもうけていることなどをしるしている。ようするに沖繩にいる海兵隊は米国のもつ強大な戦力の柱のひとつで、ベトナム戦争の主役である。」というふうに解説されております。これは、秘密資料とはいいますけれども、おそらく公然の秘密であろうと思います。
げましたように、現地時間の五月三十日午後十時三十分ごろ、日本時間にいたしますと五月三十一日の午前五時三十分ごろになるわけでございますが、パリのオルリー空港発ローマ経由のエールフランス機一三二便がイスラエルの首都テルアビブにありますロッド国際空港に到着をしました際、同機からおりてまいりました日本人三人が、空港ロビーで手荷物よりチェコ製カラチニコフ自動小銃三丁を取り出し、付近にいた人に向かって乱射するとともに、手榴弾数発
現に赤軍派の出している「夜想曲」——夜想う曲という、名前はたいへんやさしい名前の本でございますけれども、この中身は「火炎手榴弾」と書いてございますけれども、火炎びん、あるいは爆発物、そういうもののいろんな作製の手引き書、注意、それから使い方の説明書でございます。その中にも、原料はなるべく分離して持って歩け、それから点火する薬品はなるべく少量ずつ持っていくのだというふうなことを書いております。
手榴弾のような形をしてみたり、筒みたいな形をしているのですから、何が物理的なものですか。そんな答弁じゃ困りますよ。了承しませんですよ。だから法規がなくていいなんということは了承しません。だめですよ、それは。そういう見解ですか。
○大久保(直)委員 本日は十二月二十四日でございますけれども、二十一日付の沖繩タイムスに、「二十日コザ騒動事件で米軍憲兵隊はガス手榴弾を投げ、群集を鎮圧していたが、沖繩県原水協事務局長が調べた結果、当日使用されたガス手榴弾は最新型の戦闘用ガス弾=M二五A12=であることがわかった。事務局長によると、CSガス弾と呼ばれ、クロムベンジルマロノニトリル剤が充填されている。
それから、いろいろな物資の調達につきまして、いまのように、ナパーム弾を日本で調達した、あるいはタンクであるとか、小銃であるとか、手榴弾、その他武器弾薬類等たくさんお述べになりましたが、これは、先ほど大臣が申されましたように、一切そういう事実はございません。
しかしそういう非軍事的な援助を行なう一方、ヘリコプターとか上陸用舟艇とか、それから歩兵銃とか手榴弾、七十ミリのバズーカ砲、対戦車砲、対戦車ロケット、六一型戦車、小型船艦、こういうものが米軍発注とかフィリピン経由などで、いろいろな形で送られているといわれておるのです。これは事実ですか。
やがては手榴弾ぐらいできるでしょう。そうしますと、持ち込みも、大きな横浜の税関あたりで目につくようなものではなくなってくる。だから、完成品は入れないというのか、あるいはばらばらで、その部品を統合して、起爆装置と前のほうをくっつければドカンという、そういうものはいけないのだが、ばらばらはいいというのか。ばらばらで持ってきて毛、それを統一して爆弾にくっつけなければいいのかどうか。
その二つの目的からこの地点をやったのでありますが、出ましたのは結局、蛇山の洞窟の中から数個の古い手榴弾が出ただけでありました。先ほど申しました日本兵の情報を提供しましたイノシシ取りの男もその捜索の人夫に加わったのでありますが、他の者から、あいつはうそつきだ、どろぼうだということでさんざんな目にやっつけられました。
その代表部の中にたとえば金永煥という方などがおられて、そうして車進という人と連絡があるんじゃないか、こういう話もあるのですが、今の私が、不測の事態が起こるだろうというようなことは、明らかにもう爆弾を持ってきておる、あるいはまた手榴弾を持ってきているんじゃないか、あるいは日赤センターをこわす、あるいは品川駅を出るときに列車を爆破する、線路をこわす、あるいはまた在日朝鮮人の幹部をどうかする、こういうふうな
治安当局でも調べられておるところで、これは計画があるだろうと思うのですけれども、そういう関係で具体的におっしゃられないのかもしれませんけれども、あるいは爆弾を持ったりあるいは手榴弾を持ったり云々ということを聞くと、動いている人間についても治安当局が把握しておられるよりももっと多いのではないか、それは具体的に人間の名前はあげませんけれども、私どもは考える。
一体治安当局として、この前もお聞きしましたけれども、十日の警備態勢を、手榴弾が飛んだり、爆弾がきてもちゃんと防げる、こういう確信をお持ちになっているかどうか、もう一ぺん念のため重ねてお尋ねしておきます。
それから自衛とか警戒のために大砲とかあるいは小銃とか拳銃あるいは手榴弾を与えられておる。そうして船主は海軍の高等官待遇の嘱託になっておる。船長とか乗組員とか、あるいは通信士も軍属として取り扱われておる。給料も海軍から与えられておった。それで自分の漁船が強制的に徴用されて無理に軍属として取り扱われておりますが、その全部がほとんど戦死しておる。船も沈没しておる。
と前提し、一九五三年十二月五日には、こうごうたるブルドーザーの音とともに、装甲車十四、五台、機銃四、五丁、機関砲十数門、催涙弾、手榴弾まで用意し、兵士の自動小銃には実弾が装填され、着剣して住民に迫り、銃床でなぐる、軍靴でけるなぞあらゆる暴行をあえてし、武力行使によってあけ渡しを強行しました、住民は今でもその日を記念して、忘れるな十二月五日と合言葉のごとく唱えております旨が訴えられております。
事実は被疑者でありまするところの、ウイリアム・S・ジラード三等特技下士官が上官から機関銃等の警備を命ぜられておりました際に、当時その演習場内におきまして薬莢等を拾うことに従っておりました小野関英治さん、坂井なかさん、こういう両名の人に対しましてカービン銃にグリネード・ラウンチャーという手榴弾を投射する機械をつけましたものに、から薬爽を詰めまして、通常の空砲を装填いたしまして、二発おのおの小野関並びに
「これまでの予備調査報告によると、演習に参加していた第八騎兵連隊所属の一兵士が、射撃線の前面にいる群衆に警告の意味でライフル手榴弾投射器で空包弾薬を使って空薬キョウを空中に向け発射していた。」空中に向けて発射をしたのだと、こういうことになっているのです。
私も昭和十六年までは、まくら元に手榴弾を置いて寝ておりました。そういうふうな、全く、農業移民でありながら農業ができなかったというような状態でございまして、その間退団者もたくさん出まして、一時は全滅の危機に瀕するようなことがあったのであります。とにかくがんばらなくちゃいかぬというので、がんばってがんばり通しました。
太谷三八二大隊、迫撃砲小隊長某曹長は……、氏名を忘れましたが、残留を強制された不満から大隊長室に手榴弾を投げ込んだところ、翌日副官が酒を呑ませ、酔うと滅多打ちにし、雪の中に放置し小幡軍医中尉が注射して殺してしまいました。 この完成は、特務団として太原に総指揮所、これは元泉少将、山岡少将、岩田少佐、工兵営は成瀬、通信営は日裏、折県の第二団は今村方策大佐、陽泉の第五団は、これは名前を忘れました。
と申しますのは、こういうふうに、たとえば医官が帰りたいという者を注射をして殺したとか、あるいは手榴弾を投げ込んだ曹長を、酒を飲まして、さらに注射をして殺したとか、重要な要素を持つているわけですが、これはほかから、直接御体験になつた分ではないと思いますが、直接こういうテロとか、あるいは迫害を加えたというのを目撃された例はございますか。